酔いどれ詩人になるまえに Factotum
監督:ベント・ハーメル
2005年 アメリカ/ノルウェー
どうにもならないことだらけ
でも、太陽はまた昇る…。
以前、ブコウスキーのドキュメンタリー映画で動いているブコウスキーを観て感激したが、「勝手に生きろ!」が原作となった映画が登場。
>>内容<<
アメリカの田舎町。”自称”詩人のヘンリー・チナスキーだったが、原稿は出版社に相手にもされず、食うために働くものの、いつも酒で失敗してすぐクビになってしまう。
そんなある日、彼はバーでジャンという名の女と出会う。
三日後には彼女の家に転がり込み、金のない2人は先のことなど何も見えない、酒とセックスだけの日々を送る。
しばらくすると、チナスキーは仲間と競馬に入れ込み始める。そうすると、あっという間に小金がたまるチナスキーだったが…。
飲む打つ転がり込む、そして書く、というブコウスキーの四拍子が揃った映画であるが、個人的にギューンとくるのは、飲むでもなく女のところに転がり込むでもなく、打つでもなくましてや書くでもない、「チナスキー、クビだ」の場面である。
ブコウスキー(=チナスキー)の行為が集約された結果が「チナスキー、クビだ」だと私は思うわけである。
「飲む打つ転がり込む」にも「書く」にも社会との接点はあまりないが、社会の中のブコウスキーという存在は職場でのみ見られるわけで、社会とブコウスキーが濃く交わっているこの場所でのやりとりが一番の見所なのだ。
と勝手に思っているわけで、「酔いどれ詩人になるまえに」を見てもやはりそこが面白く、本でもやっぱりそこが面白いのである。
そして、「クビだ」と一度も云われることのない人生というのも詰まらないなー、と思いつつ、「クビだ」なんて云われたくない気持ちが遙かに勝っている自分てどうなのよ? とおかしなことを考えてしまうブコウスキーの映画なのであった。
酔いどれ詩人になるまえに Factotum
監督:ベント・ハーメル
評価: