何回目か記憶が怪しいが、多分観るのは7、8回目かなーの作品。
東南アジアをブラブラして以来、いつかジジイになってからでも東南アジアのできれば島に住んでみたいなーと思っていた時期(公開直後に劇場に行ったから1999年)に出会って、「おお、日本には沖縄があるじゃないか」と視点がグルッと変わった思い入れのある作品だ。
沖縄を舞台に描かれる60年の歳月を越えたラブストーリー。都会の喧騒に疲れた東金城奈々子は故郷の沖縄に里帰りする。そこで風来坊の福之助と老紳士・サンラーと出会うが、何とサンラーは奈々子の祖母・ナビィが60年前に悲恋の末に別れた男だった…。
オープニングの映像(記事最初の画像)とエンディングの映像は、島に帰ってきた(ナビィの血をひく)奈々子の視点と島を去るナビィの視点を上手に対比させている。
カタコトの英語を操りつつ三線でアメリカ国歌(星条旗)をかき鳴らす恵達のキャラクター設定は、飄々とした性格と併せて(アメリカ的なる)合理的精神を体現した人物としての位置づけを強く感じる。
ユタを始めとするシャーマニズムが色濃く残る離島(粟国島)の風習を表立って否定しないまでも、軽快にスルーするところも面白い。そうしたキャラクター設定が物語の展開に大きく寄与するのは、ナビィが島を離れることを決心する過程にある。
ユタにナビィの腰痛の原因は先祖が怒っていることにある、と云われたことに対して、マッサージチェアを買ってくるところが端的なエピソード。
ここに恵達の優しさがとてもよくあらわれていて、ナビィの腰痛は単なる腰痛で先祖なんか関係ない。だからナビィがサンラーを慕って島を離れても先祖が怒って一族が絶えたりしない。
だから気にしないでサンラーのもとに行っても良いんだよ、というメッセージが牛の花子(?)を売ってマッサージチェアを買う一連のエピソードには込められている。
そもそもユタの御託宣を恵達は入れ歯を外したりして、その手合いの話をまじめに聞いていない。
作品の根底を貫いている骨子はとてもしっかりしていて、主要な登場人物の性格・背景も映像に丁寧に織り込もうとしているちゃんとした映画なんだけど、演出自体はそんなに上手じゃないと思う。観るたびにその思いは強くなる。
その不器用さが作品に(内地の人間が思い描く沖縄らしさ)素朴さ・純朴さという調味料を与えていて、内地(日本本土)で一種のブームを呼ぶ要因になったのかもしれないと穿った見方もできるかも。
あと、この映画の魅力は音楽。ミュージカルかと思うくらい沖縄の音楽がそこかしこで鳴るし、それがまた良い曲だし、なんでここに(?)の超大物マイケル・ナイマンがメインテーマ(めっちゃ名曲)を手がけていてマジでビックリするわ。
あとあと、嘉手苅林昌生前最後の演奏する映像(?)も観られます。
サントラも超オススメ。