「偶然の確率」アミール・D. アクゼル(アーティストハウスパブリッシャーズ)
世の中には「偶然そうなっちまいました。だから意味はないんですよ」という事が多い。
と云うよりも、世の中のほとんどは偶然という材料で作られている。
だから、ちょっと気にしてモノを見れば、偶然が何かのストーリーを紡ぎだしている事がたくさんある。
例えば、とあるサイトで見かけた新着カラオケの並びがこうだった。
結婚しようよ
それでいいのですか?
CALL ME,BEEP ME!
冷たい花
どうにもとまらない
今夜だけきっと
アゲハ
セロリ
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
雨のウェンズディ
どうしてこういう並びになってしまったのかはよくわからないが、とにかくこう並んでいた。
「結婚しようよ」の次が「それでいいのですか?」だ。
ついつい「結婚しようよ」と云っちゃったけど、内心「それでいいのですか?」とも思ってしまっている男心と読み取れる。
視点を変える。
交際半年で今が一番イイ時なカップルが公園のベンチに。
そこで男が意を決して女に云う。
「結婚しようよ」
少しの沈黙の後、女は恥ずかしそうな笑顔でOK。
その返事に男は人生の一大事を成し遂げた達成感で満たされている。
本当はこれからやらなければならない事が山積みという現実もあるのだが、この瞬間くらいは楽しませてあげたい。
そんな全体的にOK!ムードなところに、通りがかった初老の男がやって来てこう云うのだ。
「それでいいのですか?」
——————————————————-
偶然の紡ぎだすストーリーは意外と形を成しているわけで、実は偶然じゃなく必然なんじゃないかと思ったりする。
必然は人間の手によって作られるが、偶然は神の世界だ。
「どうにもとまらない」
「今夜だけきっと」
今夜だけきっとどうにもとまらない、と予告調なのが凄い。
「今夜だけきっと」なのだから、明晩も明後日の夜もどうにもとまらなくなってても不思議じゃない。油断はできない。
きっと、って一応断ってるから、今後一週間連続してどうにもとまらなくなってても、これはしょうがない。ある意味、開き直り臭い。
——————————————————-
「今夜だけきっと」
「アゲハ」
「今夜だけきっと」は使い勝手がイイ。下の「アゲハ」とも難なく繋がってしまう。
しかし「今夜だけきっとアゲハ」ということは、普段は蛾とかなんだろう。
蛾とかなんだろうけど 「でも見て! 今夜のワタシはきっとアゲハ!」って感じだ。
きっと、というフレーズが入るだけで、ストーリーはぐっと深みを増す。
そのフレーズひとつで、「ワタシ、アゲハのはずだけど、もしかするとアゲハじゃないのかもしれない・・・」という含みが読み取れるわけで、これは意外と深い。
もう蛾であることが身に染み付いてしまっていて、今夜だけアゲハにしてもらってるのに信じ切れない自分、みたいな。
——————————————————-
これが三連続になると急激に複雑度が増す。
「どうにもとまらない、今夜だけきっとアゲハ」
どうしたいのか全然わからない。
今夜だけはどうにもとまらない勢いでアゲハになったけど、もしかしてもしかすると蛾のまんま? みたいな。
本当は自信がないのだ。鏡で確認してもアゲハなのに、そんな自分が信じられない。蛾であった時間が長すぎた、って感じだ。切ないね〜。
——————————————————-
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
「雨のウェンズディ」
この並びは場面を物凄く限定してる。
ドラマの場面設定か? という勢いだ。
これは横浜や横須賀の港にいるヨーコの物語だろう。
ヨーコという書き方からすると、ヨーコは60〜70年代のちょっとやんちゃな女の事だ。
そのヨーコは毎日のように仲間と横浜や横須賀の港周辺に遊びに行っているが、何故か雨の降る水曜日はアパートでひっそりと過ごし、仲間の誘いにも応じないのである。
その理由はドラマの最終回に明らかにされるのだ。
なるほどねー、そんなストーリーなのかー(違う)。
——————————————————
最後に、全部を並べ替えてみよう。
これは並べ替えたので偶然とは呼べないが、これはこれで文字列からストーリーを感じ取る手法として有効だろう。
「雨のウェンズディ」のことだった。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で、「どうにもとまらない」男から、「結婚しようよ」と云われ、「アゲハ」のとまった「冷たい花」を差し出された。ヨーコは嬉しかったが、謎の老紳士に「それでいいのですか?」とイイ気分に水を差され、「今夜だけきっとCALL ME,BEEP ME!」
えっと〜「セロリ」どうしよう。