人によっては「ブレードランナー」というタイトルは特別な存在だろう。
人によっては「未来世紀ブラジル」というタイトルは特別な存在だろう。
私も何かに「ブレードランナー」「未来世紀ブラジル」という文字を見ると、ハッと反応してしまう。
そんな奇特な人たちには罪なタイトル、「ブレードランナーの未来世紀」は、堅苦しくなく読める映画の副読本である。
『ブレードランナー』の何が「二つで充分」なのか?
『イレイザーヘッド』の赤ん坊の正体はウサギ?
『ビデオドローム』の変態テレビ局は実在した?
『未来世紀ブラジル』はなぜブラジルなのか?
80年代に狂い咲いた映画作家たちの真実。
『映画秘宝』連載の「Yesterday Oncemore」に大幅加筆の決定版。
先日のエントリーで紹介した「【本】映画の見方がわかる本-『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで/町山智浩」の続編的な本。
前作では60年代~70年代、ハリウッドのハッピーでお気楽な映画が幅を効かす時代にアメリカン・ニューシネマが風穴を開け、「ロッキー」で再び保守的なハリウッド映画へと回帰するまでを取り上げていた。
本書ではそうした保守的な映画に回帰した時代(映画がプロデューサーのものになった時代でもある)において、作家性の高い映画監督が作った作品を取り上げている。
つまり、時代背景からすると「カルト」な映画監督を取り上げているわけだ。
取り上げられた作品は以下の通り。
- 「ビデオドローム」デヴィッド・クローネンバーグ
- 「グレムリン」ジョー・ダンテ
- 「ターミネーター」ジェームズ・キャメロン
- 「未来世紀ブラジル」テリー・ギリアム
- 「プラトーン」オリヴァー・ストーン
- 「ブルーベルベット」デヴィッド・リンチ
- 「ロボコップ」ポール・ヴァーホーベン
- 「ブレードランナー」リドリー・スコット
前著で取り上げられた60年代~70年代の映画は、当時の音楽と同じく、反体制、カウンターカルチャーというキーワードで語られる作品だが、「ブレードランナーの未来世紀」で取り上げられる80年代の映画作家は、どちらかというと自分の趣味趣向、つまり撮りたい作品を撮る、という方向に向いているようである。
それぞれの映画に対して、その映画が作られた時代背景や作家性の高い監督たちのバックグラウンドにまで言及している博覧強記ぶりには頭が下がる思いであるが、なんとなく前著と比べてストーリーをなぞっている部分が多いのが気にかかった。
もちろんそれでも圧倒的な情報量なので、上記映画が好きであれば読んでみるべき一冊だろう。
ちなみに私は「ビデオドローム」「ブルーベルベット」は未見。
「ブレードランナー」はその後の未来都市像を決定づけている点(いまだに新しい未来都市像は出現していないようである)で革命的な映画であるし、個人的にも5本の指に入る傑作映画だと思う。未見の人はどうぞ。